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大阪高等裁判所 昭和43年(う)1509号 判決 1969年3月10日

被告人 坂本鶴範こと慎鶴範

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岡沢完治、同渡辺孝雄連名の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点について、

論旨は、原判決は、その罪となるべき事実において被告人は横断歩道の手前約一〇メートル付近で被害者の車輛を追い抜いた旨判示しながら、他方情状の説示で「被害者の車輛は被告人の車輛の車体中央部ないし後部付近を併進していた」と判示する等したのは、明らかに前後相矛盾していて判決理由にくいちがいがある場合に当るから、破棄を免れないというのである。よつて検討するに、原判決の罪となるべき事実と情状として説示するところの判文をそれぞれ精読し相互に比照考察すると、原判決が罪となるべき事実中に被害者の車輛を追い抜いたと判示したのは、被告人の交差点手前における状況説明として横断歩道の手前約一〇メートル付近の地点で被害者の車輛を追い抜いた状況にあつたというにとどまり、右時点およびその後において被害者の車輛が被告人の車輛といかなる関係位置にあつて進行していたかとの点まではなんら説示していないことが明らかである。これに反し情状の説示中で並進していたと判示しているのは、被害者の車輛を追い抜く以前、すなわち、前記歩道の手前約二〇メートル付近から被告人の車輛の左前方数メートルのところを東進していた被害者の車輛の追い抜きにかかり、これを右横断歩道の手前約一〇メートル付近で追い抜くまでの時点における両車輛の関係位置は被害者の車輛が被告人の車輛の車体中央部ないし後部付近の左側を並進していたものと推認される旨説示しているものと解され、原判決が前者で追い抜いたと説示した時点と後者で並進していたという時点とは各その時点が異つていることが明らかであるから、右両者の間には矛盾はなく、その理由においてくいちがいはない。論旨は理由がない。

ところで職権をもつて調査するに、本件起訴状記載の公訴事実は「被告人は、自動車運転者であるが、昭和四三年二月二四日午後五時一五分ごろ、普通貨物自動車を運転し、大阪市東区谷町三丁目八番地先の交通整理の行なわれている交差点の手前に時速約三五キロメートルで東進してさしかかり、同交差点を左折北進するにさいし、あらかじめ車輛をできる限り、道路の左側に寄せて徐行しつつ左側の併進または左後方から接近してくる車輛の有無を確認し、事故の発生を防止すべき業務上の注意義務を怠り、単に時速約三〇キロメートルに減速したのみで、突然他の車輛の有無を確認することなく左折しはじめた過失により、おりから車道左端を後方から東進してきていた福本亀一(当五七才)運転の自動二輪車に自車左前輪部を衝突させ、転倒せしめて、よつて同人を同日午後九時五二分ごろ、長原外科医院内において、心衰弱により死亡するに至らしめたものである」というのであり、これに対して原判決が認定した罪となるべき事実は「被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるところ、昭和四三年二月二四日午後五時一五分ごろ、普通貨物自動車を運転し、大阪市東区谷町三丁目八番地附近の道路左側部分(幅員約八・三メートル)の中央車線を時速約三五キロメートルで東進し、信号機の設置されている谷町三丁目交差点を左折しようとしたのであるが、同交差点西側横断歩道の手前約二〇メートル附近にさしかかつた際、左前方数メートルの自車左側車線上に、時速約二五ないし三〇キロメートルで東方に向かつて同交差点を直進しようとしている福本亀一(当時五七才)運転の自動二輪車を認めたのであるから、自動車運転者としては、直ちに速度を低減して徐行に移るとともに、道路の左側に寄つたうえ左折を開始し、右自動二輪車との接触による事故を防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り道路左側部分の中央附近を前記速度で進行し、前記横断歩道の手前約一〇メートル附近で右自動二輪車を追い抜いたうえ約一四・六メートル進行した際、時速三〇ないし二五キロメートルに減速しながら左折を開始した過失により、自車左前輪および車体左側面を右自動二輪車前輪および右ハンドルに接触させて同人を路上に転倒させ、よつて、同人に対し第二頸椎脱臼、第二、第三頸椎骨々折、頸椎損傷等の重傷を負わせ、同人をして同日午後九時五二分同区糸屋町二丁目二八番地長原外科医院において、右傷害に起因する心衰弱により死亡させたものである」というのである。しかして右公訴事実と原判決の認定事実とを対比考察すると、公訴事実が普通貨物自動車を運転していた被告人において、交差点を左折する際あらかじめ車輛をできるかぎり道路左側に寄せて徐行しつつ左側の併進または左後方から接近する車輛の有無を確認すべきであるのに、これを怠り、後方から東進して来た被害者の進行に気付かず左折したという点に被告人の過失があると主張しているのに対し、原判決は右公訴事実にいうところの左折開始の行動に出る以前、すなわち被告人が本件交差点の直前にある横断歩道の手前約二〇メートル付近で、その左前方数メートルに自動二輪車に乗つて右交差点を直進しようとしている被害者を認めた時点において、すでに被告人には直ちに減速徐行に移るとともに道路左側に寄つて左折を開始する注意義務があるのに、被告人はこれを怠つたとして、その後被告人のとつた行為いうなれば被告人が被害者を追い抜いたその行為も、また、その後そのまま直進した行為も、さらには減速しながら左折を開始した行為もすべて右義務に反する過失行為であるとそれぞれ認定しているのである。そうすると、原判決が被告人に過失があるとした事故回避措置違反の時点とその時点に存在するとした注意義務の内容は、訴因にいうところの左折時点におけるいわゆる並進後続する被害者に対する安全確認義務違反を内容とするものではなく、それより以前の時点すなわち被告人が先行する被害者を認めた際の、その時点において被告人には減速、徐行、道路左側寄に進行する義務があるというのであり、要するに原判決が右時点において右のような内容の注意義務が存在するというところの趣旨は、被告人としては被害者を先にやりすごしその後において左折すべきであるとしているものと解され、訴因事実と認定事実との間にはそれぞれその主張ないし認定にかかる被告人の過失の存在時点とその態様を異にしているものというべきである。してみると、原判決は公訴事実に訴因として明示された時点におけるその態様の過失についてなんらの判断を示さず、これと異るそれより以前の時点における別の態様の過失を認定したものであつて、これを認定するについてはその旨の訴因変更手続を要するものといわねばならない。しかるに、原審でこの点の訴因の追加、変更手続を経由した形跡は記録上認められないし、被告人は公訴事実の訴因に対し左折開始前二五メートルぐらいで合図し交差点手前で左に寄り速度を三〇か二五キロメートルに減して徐行し左前部のバツクミラーで後方を確認したと述べ、もつぱら左折時にとるべき注意義務違反の事実について否定するにとどまり、それより以前の交差点手前において被害者を認めた段階で被害者を先にやりすごすための措置をとらなかつたことについて過失があるとする原判決の見解に対し防禦の方法を講じたとは認め得ないから、原審が訴因変更手続を経ないで原判示のような事実を認定したのは被告人に実質的な不利益を蒙らしめたもので違法であるといわねばならない。この訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

よつて、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、第一審においてさらに審理を尽くさせ事実関係法律判断を明確にさせることが相当であると認め、同法四〇〇条本文により、本件を大阪地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田亮造 野間礼二 西村清治)

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